夏に隠された心の距離のお話

どうも、使い方がよく分からずに適当にブログ書けそうなページを開いていって書いてみたらブログじゃなくて日記になってたゆきです。(未だにブログと日記の違いは分かっていない)

 

今回は「夏の終わりの雨音が」という曲について、歌詞とライブ演出から見ながら語っていこうと思います。

 

私が最初に試聴動画でこの曲を聴いたとき、失礼だとは思うのですが正直少し笑ってしまいました。その前の曲がじもあいだったことから、ギャップも多かったし、静かなイントロが始まったと思ったらいきなり語り出す果南。

 

これまでの3曲と、そしてちかなんのイメージと大きく異なったこの曲は自分自身に大きなインパクトを残したと共に、最初の語りが理由で若干ネタ曲なのではと思ってしまいました。

 

その考えが大きな間違いだったのだと気付かされたのは2ndライブを見たときです。金銭的な問題で現地に行くことは出来ずにLVで両日見たのですが、ネタだと思っていた最初のイントロの語りの部分を歌う(語る?)諏訪さんの表情と声がとても切なそうで、すぐに目と心が惹かれてしまいました。

 

今となっては到底ネタ曲とは言えないこの曲について、冒頭で述べたように歌詞とライブ演出の2つの面から考察していこうと思います。

 

 

🌑夏に隠された想い

 

みなさんは夏と言われて何を思い浮かべますか?恐らく暑い日差しを照らす燦々と煌めく太陽を思い浮かべることかと思います。そんな夏が終わるとはどういうことかというと、それはこの太陽が隠れてしまうことを意味しています。

 

そこでタイトルにある『雨』が重要になってくるのです。雨が降るということは空が曇っているということで(天気雨は知らない)、太陽を隠す雨空というのが夏が終わったことを表しています。

 

しかし私は、夏にはもうひとつ別の意味があると思っています。それは、大切な人と過ごす時間の比喩としての夏だということです。

 

では、そういう前提で早速歌詞を読み解いて行こうと思います。

 

 

 

いつだってあなたは身近だった

わざわざ気持ちを確かめるってことも

必要じゃなくて

 

色でお察しの通り果南パートの歌詞なのですが、ずっと身近にいるから気持ちを確認しなくても分かってるつもりだったという、金髪の似合う理事長との仲違いのシーンを思い出しますね。

 

自然に仲良くなれたから

安心してたのかもしれないね

どうして 波に問いかけるけど

 

今度は千歌のパート。千歌と曜が仲良くなるシーンはアニメでは描かれていませんが、幼馴染なのできっといつの間にか仲良くなっていたのでしょう。そして果南と同じように相手の気持ちを分かった気になって安心していた千歌の心情が描かれています。

 

ここのそれぞれのパートは幼馴染、言い換えると大切な人の気持ちを何の根拠もなく分かっているつもりでいた2人のことを歌っています。

 

そしてライブの話になるのですが、ここのパートというか半分くらいは諏訪さんがセンターステージで踊り、伊波さんがメインステージ上で踊るという演出になっています。

 

この諏訪さんと伊波さんの距離が、そのまま大切な人の気持ちを分かっているつもりでいた2人と、大切な人との間の心の距離を表しているのだと思います。

 

大切な人からは、自分のことを分かってくれないと思われていたのではないでしょうか? そうやって、少しずつ大切な人との間に溝が出来ていったのかもしれません。

 

 

夏の始まりが 連れてきた想い

夏が終わるとき 消えちゃうものだったなんて知らなくて

 

大切な人との出逢いによって生まれた様々な想いも、離れてしまえば少しずつ想いは薄れ、大切だったという想いすら忘れてしまうという悲しみが表現されているのだと思います。

 

 

そしてサビに入ります。

 

海辺の空が光って 突然 雲が流れ   大粒の雨 私のなかの涙みたい

こんなに楽しい夏が   ずっと続いてくって信じてたよ

But now・・・ September Rain   But now・・・ September Rain

 

ずっと一緒にいると思っていた大切な人との突然の別れに戸惑い悲しむ2人。聞かなくても大切な人の気持ちを分かっているつもりだったからこそ想像もしていなかったことでしょう。

 

また、ここでの雨は夏を終わらせるものとしての意味と、映画とかで悲しいシーンで雨を降らせているのと同じように、2人が抱える悲しみの2つを意味しています。

 

つまり"September Rain"は夏が終わったこと、つまり大切な人との別れへの悲しみを表現しているということになります。

 

 

いつかは記憶も薄れちゃって

なんども季節が変われば埋もれてく

そして笑えるのかな

 

そして未だに悲しみを乗り越えられない2人は、何度も夏を繰り返せばこの悲しみを忘れて笑えるようになるのだろうかと歌っていますが、夏を繰り返すということはそれだけの別れも繰り返すということになるということに気付いていないのはやはり2人がまだ高校生だからなのでしょうね。

 

 

誰もいない ひとりぼっち

 

これを踏まえてこの歌詞を読むとありえないぐらいしんどいですね。大切な人と離れてしまって、ひとりぼっちになってしまった2人。

 

ただ、実際に本当にひとりぼっちなわけではありません。大切な人とは離れても友達はいるでしょう。ライブでの同じメインステージにいる伊波さんと諏訪さんの間に距離があることはこれを意味しています。

 

大切な人ほど近しい距離の相手では無いけれど……、という心の距離感がそのままメインステージでの2人の距離ですね。

 

しかし、それでもひとりぼっちだと感じてしまうぐらいには大切だった人との別れ。想像するだけでとてもつらい気持ちになります。

 

 

 

思い出なんていらないの   こころが苦しくなるだけだと

No more! September Rain   No more! September Rain

 

忘れてしまいたいのに大切な思い出たちが邪魔をしてずっと心を締め付け続ける、という苦しみを味わう2人が"No more"と悲痛な叫びをあげている2番のサビ。

 

自分は別れを苦しいと思うほどに大切だと思う人と別れるという経験は無いので、この2人の気持ちを完全に理解することは出来ませんが、想像するだけでも涙が溢れ、とてもじゃないが笑うなんてことは出来ないでしょう。

 

 

そしてまたライブの話に移りますが、この曲というのは2ndでも言っていたようにダンスナンバーの曲です。しかし「スリリング・ワンウェイ」のような激しさではなく、手元の細かい振付けなどが印象に残る、静かな激しさと言えるダンスでした。

 

このことは、心という小さなものが大きく揺り動かされていることを表現しているのではないでしょうか? 小ささを細かい振付けで表し、激しさで心が揺さぶられる様子を……みたいに。

 

 

さて、最後は一気に台詞を読み解いていきたいと思います。

 

「何か始まるってことは 終わりにつながるだなんて

考えてもみなかった いや 考えたくなかったんだ・・・」

 

この台詞、この曲になぞらえて言うなら、大切な人との別れなんて考えたことも無かった。という解釈になりますが、敢えて夏という言葉ではなく何かという言葉を使っていることに意味があるように感じます。

 

つまり、急に語り出した謎の台詞(勝手に思っていただけ)には3つの意味が含まれているということです。

 

1つ目は季節的な夏が始まり、こんな楽しい時間が終わることなんて考えたくなかったという意味。2つ目は先程述べた大切な人との別れなんて考えたことも無かったという意味。そして3つ目はAqoursとの別れを惜しむ意味です。

 

始まればいずれ終わる、時間は有限である、ということは何事にも当てはまりますが、ことスクールアイドルにはより強く当てはまると思います。限られた時間の中で精一杯輝くから最高の輝きを発揮できる。これはμ'sが示してくれたことでもあります。

 

もしかしたらいずれ終わりが来てしまうということを考えたくないから、Aqoursは『イマ』を歌っているのかもしれませんね。

 

 

「わかってる、二度とない夏だったってこと

次に来る夏は 違う夏なんだ」

 

閑話休題。今後沢山の人と出逢うだろうけれど、もう一緒に過ごしたあの人と同じ時間を過ごすことは出来ないということが分かるからこそ苦しいし悲しいのだと思います。

 

人と人との出逢いは一期一会。出逢いに感謝し、縁を大切にして過ごしたいですね。

 

 

「日焼けの跡が薄れる頃には きっとね、大丈夫!

でも 今はまだ 背中もこころもひりひりしてるみたいだよ」

 

日焼けというのは恐らく思い出の比喩という意味もあるのでしょう。燦々と煌めく太陽につけられる痕、というのは大切な人から胸に刻まれたものという風に捉えることも出来ますから。

 

大切な人との思い出が薄れればきっとまた笑えるようになるだろうけど、でも今はまだ思い出に胸が締め付けられているという、悲しみから立ち直れていない様子が歌われています。

 

 

「この雨が止む頃 私の涙も乾くってことにしておくよ

さあ、上を向いて 明日のことを考えようか!」

 

沢山悲しんで、悲しみ尽くしたら前を向いて頑張ろうというポジティブに終わる果南の台詞ですが、これが言えるようになるまでにどれだけ悩み苦しみ悲しんできたのでしょうか。彼女の強さは見習いたいところです。

 

 

「楽しかったね、夏・・・」

 

はい涙腺崩壊。この曲の全てが詰め込まれたこの台詞に色々口を出すのは野暮だと思うので何も言いません。というより何も言えません。

 

 

 

🌑まとめ

 

まずはここまで読んでいただきありがとうございます。そしてどうだったでしょうか。

 

正直自分は最初にこの曲を聴いたとき、こんなこと思いもしていませんでした。何回聴いても千歌と果南が夏休み最終日に宿題が終わらなくて、「楽しかったね、夏・・・」と現実逃避してるシーンしか思い浮かびませんでした。

 

でも、何度も言っていますが2ndを見て180°変わりました。そういう意味でもラブライブは2次元と3次元が融合した素晴らしいコンテンツだと思います。

 

 

ここからは余談なのですが、私は「地元愛♡満タン☆サマーライフ」という曲のライブの演出がとても好きなんです。

 

真逆のところからトロッコで出てきて少しずつ近付いていき、最終的には一緒になってキャッキャウフフをするという演出が、善子ヨハネ風に言うとリア充、非リア充という真逆の2人が少しずつ仲良くなっていって夏休みずっと遊ぶようになるぐらい仲良くなったことを表現しているようで好きという余談でした。