私が"善子"と呼ぶ理由

どうもお久し振りです。最近気持ちを伝えたい欲が高まって3日連続でブログってるゆきです。

 

今回は私の推しの"津島善子"という少女について話をしたいと思います。

突然ですが、皆さんは彼女のことを何と呼びますか? 彼女が望むようにヨハネ? それとも本名である善子? はたまた間を取ってよっちゃん?

色々と呼び方はあると思いますが、私は信念を持って"善子"と呼んでいます。

 

勿論、彼女が"ヨハネ"と呼ばれたがっていることはよく分かっています。

 

だからヨハネよ!

 

という彼女のツッコミは、彼女を演じる小林愛香さんのコール&レスポンスになるほどですから。

 

それでも私は彼女を"善子"と呼び続けます。

 

それは彼女の堕天使を否定しているわけではありません。寧ろ彼女の堕天使なところは大好きです。運が悪いことを神から嫉妬されて堕天させられたと自分を言い聞かせて、自分の運の悪さを受け入れる強さに尊敬しています。決して他者を恨んだり羨んだりするのではなく、それが自分なのだと言い切れるのはそれだけ自分と向き合ってきたからこそだと思うんです。

 

少し自分の話になるのですが、自分は産まれ持ってとある病気を抱えています。まあ隠すことでもないですが、かと言ってわざわざ人に言うことでも無いので一応伏せておきます。(聞きたい人はDMで聞いてくだされば普通に教えます)

今でこそ自分の病気のことを受け入れていますが、昔はやっぱり産まれ持ったものだからしょうがないと思うことが出来なかったのです。なんで自分だけが病気なんだと思いました。こんな病気なんて無ければ良いと何度も泣きました。でも、歳を重ねていくにつれ(と言ってもまだまだ若輩者ですが)、この病気のお陰で学んだことも沢山あるということに気付かされました。自分は色々な人に支えられて生きているということ。命の大切さ。人への感謝の気持ち。

確かに今でも病気が治るなら治って欲しいと思っています。でも、今になってみればこの病気を抱えて産まれて良かったなという気持ちですし、辛いことは一杯あるけれども、この病気も含めて自分なのです。

 

きっと彼女も同じなのではないかと思います。自分の不幸に悩み、悲しみ、苦しんだけれども、堕天使と出逢い、全てを受け入れることが出来たのでは無いでしょうか。そんな堕天使を否定できるわけが無いですし、堕天使を否定することは彼女自身を否定することになりますからね。

 

つまり、私にとって堕天使ヨハネというのはあくまで"津島善子"という人間を形作る要素の1つだと思ってるわけです。

 

 

───という、ここまでがG's善子のお話です。ここから先はアニメ善子のお話をしようと思います。

 

 

アニメでの堕天使ヨハネという存在は、普通が嫌で特別に憧れた彼女が作り出した存在です。自分を受け入れるためではなく、普通な津島善子を殺してみんなに特別な存在だと思わせるための存在です。つまり、元々"津島善子"と"堕天使ヨハネ"は共存できないのです。だから彼女は何度も堕天使ヨハネを捨てようとしていました。

 

でも、"津島善子"も"堕天使ヨハネ"もどっちも"善子"なのだとAqoursのリーダーが言いました。好きなら捨てなくて良いのだと言いました。その結果、本来なら共存できないはずの"津島善子"と"堕天使ヨハネ"がその瞬間、津島善子でもあり、堕天使ヨハネでもある"善子"という存在が産まれました。

 

だからこそ私は彼女のことを"善子"と呼んでいます。

自らを堕天使ヨハネと自称し、自分に降りかかる不幸を受け入れる強さを持った少女に敬意を表して、津島善子も堕天使ヨハネも全てを受け入れた存在として。

 

これが、例え彼女を演じる小林愛香さんがヨハネと呼んでも、彼女自身がヨハネと呼んで欲しいと言ったとしても私が善子と呼び続ける理由です。